「どうする家康」を楽しむ三河の不動産屋です。ビバ!熱き戦国時代!!13話から25話までの史跡巡りとドラマ感想をどうぞ。
過去の感想・史跡巡り
NHK大河ドラマ「どうする家康」感想・史跡巡りの過去コラムはこちらです。
第25話 はるかに遠い夢
2023年7月2日放送の第25話は「はるかに遠い夢」です。
瀬名の夢は「謀反」として織田信長に知られることになり、瀬名と信康は徳川家を守るため自害を決意します。
家族を守りたい一心の家康。大切なものを守るために命を懸けたい瀬名。徳川家の嫡男としての矜持を全うしたい信康。涙が滝のように流れてくしゃくしゃな顔をしている私。
「ウサギは狼よりも強い、あなたならできます。」と瀬名が言い残した言葉は、今後の家康に大きな影を落とすのでした。
瀬名と信康の首塚へ行ってみた
佐鳴湖の湖畔で命を落とした瀬名の首は、信長の実検を受けたのち徳川家康の家臣 石川数正が岡崎へ持ち帰り、祐傳寺に葬ったとされています。
所在地/ 愛知県岡崎市両町2-56(岡崎市消防本部の北側)
岡崎城から1.8km先の寺院です。
祐傳寺に葬られた瀬名の首ですが、江戸時代には八柱神社へ移されます。
急に空が暗転し、バケツをひっくり返したような雨が降り出しました。首塚巡りしている時になんだか怖い、、、
所在地/ 愛知県岡崎市欠町石ケ崎52ー1
岡崎城から3.3km離れた神社ですが、小高い丘の上のため岡崎城方面まで視界が抜けます。
首塚を前に無口になります。
家康の長男 信康の首が葬られています。岡崎城から2.1kmの距離です。
所在地/ 愛知県岡崎市朝日町字森畔12
近づけないように柵で囲まれている信康の首塚。
アクリル板越しに眺めることはできますが、直視できません。瀬名の首塚も信康の首塚も一種独特な雰囲気を纏っています。これほど滞在時間が短い史跡巡りは初めてです。
第24話 築山へ集え!
2023年6月25日放送の第24話は「築山へ集え!」です。
瀬名の「恐れ多き謀(はかりごと)=夢」が公になります。
- ~瀬名の夢~
共通通貨を作って経済循環させ、国々が与え合う「慈愛の国」を作ること
戦の無い世界を作りたいという瀬名の途方もない夢を知りうろたえる家康及び家臣団たち。
そんな上手くいくわけがない。
家康たちが危惧したとおり、瀬名の夢は武田勝頼に利用され最悪な事態を招きます。
「すまんな。やはりわしは女子のままごとの如き謀(はかりごと)には乗れん。仲良く手を取り合って生き延びるぐらいなら、戦い続けて死にたい。」
武田勝頼に瀬名を裏切るよう命令され、狼狽える穴山梅雪と涙目になる千代。
武田勝頼の武将としての生き様を前にして、瀬名は夢はおろか、命すら危うい状態です。
リニューアル2回目の岡崎大河ドラマ館へ行ってきた
年間パスポートを購入して通っています。2023年9月、大河ドラマファンで賑わう大河ドラマ館をご紹介!
所在地/ 愛知県岡崎市康生町561 岡崎公園内
第23話 瀬名、覚醒
2023年6月18日放送の第23話は「瀬名、覚醒」です。
武田軍との戦いが依然続く中、精神が疲弊し壊れだす家康の息子 信康(細田佳央太さん/ほそだかなた)。
「壊れゆく我が子を助けたい気持ち」と「戦を止められず、民を苦しめて続けている自責の念」が積もり積もった瀬名は一大決心し、武田軍の歩き巫女 千代と密会するように。
瀬名の不穏な動きにいち早く気付いた織田信長は、見せしめのためにまずは家康の伯父 水野信元(寺島進さん)を粛清。しかし、瀬名の覚悟が揺らぐことはありませんでした。
一体何をしようとしているのか、、、瀬名の不敵な笑みにドギマギします。
築山へ行ってきた
大河ドラマでは三河一向一揆のあと、「民の声を広く聞きたい」と瀬名が家康に願い出て居住したのが、岡崎城から1km満たない築山の地でした。籠田公園の南側にあたります。
所在地/岡崎康生郵便局(愛知県岡崎市康生通南3丁目41-1)の辺り
昔の面影は全くありません。
築山の地は、籠田公園と桜城橋を繋ぐ「天下の道(中央緑道)」に面しています。
2021年3月、天下の道には徳川四天王の石像4体が完成。この石像たちは未来永劫、築山の地を守り続けます。
大樹寺のビスタライン(岡崎城と大樹寺を結ぶ約3kmの直線眺望)然り、大河ドラマとのタイアップ然り、岡崎市は史跡に関連した街づくりがとてもお上手です。
天下の道には本多忠勝公の御位牌が安置されている西岸寺もあります。岡崎城周辺は徳川家縁の史跡がてんこ盛り!
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~散歩お手軽コース~
名鉄東岡崎駅⇒桜城橋⇒籠田公園
※岡崎城を立ち寄り地点に追加すると、明日は筋肉痛コースになります
第22話 設楽原の戦い
2023年6月11日放送の第22話は「設楽原の戦い」です。
強右衛門(すねえもん)の働きにより、織田・徳川連合軍は岡崎から長篠方面へ出陣。長篠城西3km先の設楽原(したらがはら)へ陣を構えます。
織田軍は戦術が有利になるよう2日半かけて馬防柵を作り、また徳川軍は酒井忠次(大森南朋さん)による「鳶ヶ巣山砦(とびがすやまとりで)奇襲作戦」を仕掛け、武田軍を陣地へおびき寄せます。
武田勝頼(真栄田郷敦さん/まえだごうどん)は空に架かる虹を吉兆と捉え、戦いが不利な状況であることを承知の上で織田・徳川軍に戦いを挑みます。が、1日もかからず大敗。
設楽原は戦国史上最大の銃撃戦(火縄銃3,000丁使用)で討ち死にした武田兵たちの鎮魂の地として、現代に語り継がれています。
設楽原古戦場へ行ってきた
所在地/ 愛知県新城市竹広
新城市立東郷中学校西門の並びにある徳川家康本陣跡へやってきました。
スゴイ!中学校のフェンスが馬防柵。東郷中学校は織田信長が馬防柵を立てた2つの川(連吾川と大宮川)の間に建つ学校です。
ドラマでは酒井忠次(大森南朋さん)や本多忠勝(山田裕貴さん)らが、「鳶ヶ巣山砦(とびがすやまとりで)奇襲作戦」の景気づけにえびすくいを歌い踊った場所。
「死ぬでないぞ」「死んではなりませんぞ」「死んでたまるか、えびすくい♪」
八剱神社の階段は足元滑らないように配慮された石段です。切り込みが入った石段は初です。登りやすい!
神社の本殿は建物に囲われています。
お賽銭を穴へ入れ、ガランガラン。
鈴緒を揺らして鳴った社長。鳴らなかった私。鳴らすのにコツがいる本坪鈴(ほんつぼすず)です。
当時は、合戦場の様子が良く見えたことでしょう。
設楽原をまもる会が昭和58年に発行した「かるたでつづる設楽原古戦場」に収録されたかるたの看板(計48句)が古戦場の要所要所に立っています。
所在地/ 愛知県新城市大宮清水1-9
3,000挺の鉄砲音がこの地にとどろいたのは天正3年(1575年)5月21日のこと。
織田信長は足軽一人につき丸太1本と縄1把を岐阜から運ばせたとか。(当時この辺りは一面原っぱで樹木は無かったそうです)
ほぼ真っすぐに流れる連吾川に沿って、馬防柵は築かれました。織田軍がうまく地形を利用したことが分かります。
馬防柵の前には田が広がります。
稲穂がそよそよ。
傍には紫陽花が植えられています。梅雨時期に来てもきっと素敵。
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2024年4月17日中日新聞より
新城市指定史跡内で太陽光発電事業が始まります。下江市長は「景観を守りたい思いは変わらないが、市の権限では設置を制限できず、地権者の権利を考えると受け入れざるを得ない。」と述べられました。
地権者と市との意見相違は清洲城再建時でもみられ、とても難しい問題です。
馬防柵400m先の設楽原歴史資料館。
所在地/ 愛知県新城市竹広字信玄原552
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観覧料【一般】330円・小中学生100円/【団体】220円・小中学生50円
岡崎大河ドラマ館年間パスポートを提示して220円で入館しました。(特別割引は2024年1月8日まで)
でで~ん!松潤家康ポスターと甲冑4体がお出迎え。
記念撮影スポットが用意されています。
セクシー撮影例です。※桜コンサルタント社長
観覧料が安いので期待していなかったのですが(失礼なヤツ)、存外とても良い展示がされていて驚きました。
火縄銃とそれにまつわる洒落た小物たち、そして格好良い浮世絵の数々。
矢の刺さり具合から武田勝頼最期の時が近いことが分かる浮世絵。
- 『天目山勝頼討死之図』天正10年3月11日、甲斐国天目山で織田軍に攻められ、最後を遂げた武田勝頼。付き従う家臣は僅かであった。(設楽原歴史資料館所蔵)
弾道の描き方がズキューンな浮世絵。
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『山縣三郎兵衛討死之図』武田四天王のひとり、山県昌景の最期の場面を描いた浮世絵。銃弾が飛び交う様子が戦いの激しさを伝える。(設楽原歴史資料館所蔵)
長篠と設楽原の位置が分かるジオラマ。
甲冑の数々。
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赤漆塗仏二枚胴 特に認められた隊だけが装着を許された赤塗りの甲冑。いわゆる最強軍団「赤備え」!
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鉄地黒塗鳥帽子兜
アクセントとなっている獅子飾りが大河ドラマの本多忠勝の兜と似ていて嬉しい。当時の流行りだったのでしょうか。
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黒漆塗桶側二枚胴 内側に「水ノ」とあり、水野家足軽が用いた御貸具足。
ホントだ!水ノと書いてある!足軽に貸し出されていた水野家の具足です。
天井にはどうする家康第21話の鳥居強右衛門登場シーンを連想させる飾り。
設楽原歴史資料館の屋上では設楽原合戦縁の山々が見渡せます。
酒井忠次が仕掛けた「鳶ヶ巣山砦(とびがすやまとりで)奇襲作戦」は、本当に命懸けであったのだろうと想いを馳せますが、暑いのですぐに退散!太陽が近い!
設楽原歴史資料館の南側に信玄塚が祀られています。
【大塚】
信玄塚といっても信玄公が眠っているわけではありません。設楽原合戦は武田軍9,000、織田・徳川連合軍6,000の計15,000の兵士が討ち死しており、大塚には武田兵が、小塚には連合軍兵がそれぞれ葬られています。
【小塚】
【閻魔大王】
大塚の近くには石造りの閻魔大王様がいらっしゃいます。お堂を覗くと、恐ろしい形相で睨まれます。日頃、私は善い行いをしているだろうか、自問せずにはおれません。
焼け焦げた匂いが立ち昇る信玄台地。
合戦後、この塚から大量の蜂が発生して人や馬を困らせたという言い伝えが残っています。
武田の亡霊の所業だと考えた村人たちは霊を慰めるために、大きな松明(たいまつ)を燃やして供養するようになりました。それが毎年8月15日のお盆の夜に行う「火おんどり」の始まりです。
私が訪れたのは8月21日、まだ焦げた匂いが漂っています。
設楽原歴史資料館300m先にある武田軍の猛将 山県昌景の墓。
所在地/ 愛知県新城市竹広498
ひっそりとしていて、見落としてしまいそうな小路を進みます。
元亀3年(1572年)一言坂の戦いにて本多忠勝に「奴は強い」と言わしめた山県昌景(橋本さとしさん)ですが、ここ設楽原で忠義を尽くし討ち死にします。
武田勝頼の「御旗盾無(みはた、たてなし)ご照覧あれ!」宣言は、一度決めたことは不利な状況であっても決して覆してはいけない武田家誓いの言葉。
山県昌景率いる赤備え軍団の残党が、のちの徳川四天王 井伊直弼の赤備え軍団に。この因縁、胸が熱くなります。
信玄塚から歩いてゆけますよ。
池の名前が怖くて行くのをためらっていましたが、行けば蓮の花が咲き誇る極楽浄土な池でした。
所在地/ 愛知県新城市竹広604
蓮の花の中に仏様を見たり。蓮の季節(7月~8月)に訪問するならば午前がおススメです。次は岡崎へ行ってきます!
第21話 長篠を救え!
2023年6月4日放送の第21話は「長篠を救え!」です。
舞台は奥三河の長篠城。武田軍の兵糧攻めに遭い、もはや木の根や草鞋(わらじ)をかじって空腹を凌ぐ他ない奥平家臣たち。
皆が失望して動けなくなる中、鳥居強右衛門(とりいすねえもん/岡崎体育さん)は城主 奥平信昌(白洲迅さん/しらすじん)へ「まぁ食いもんがねぇ、はよおいでなせぇと、徳川さまを呼んで参りましょうか。」と申し出ます。
谷川を泳いで武田の陣を潜り抜け、岡崎目指して夜通し走る強右衛門(すねえもん)。無事岡崎へ辿り着いたものの行き倒れていた強右衛門を、のちに主君 奥平信昌の妻となる亀姫(徳川家康の娘/當真あみさん)が助けます。
織田・徳川勢が援軍を長篠城へよこす旨が確約され、強右衛門は急ぎ長篠城の岐路につきますが、途中武田軍に捕まってしまいます。普段より仲間たちから「ろくでなし、この役立たず!」と罵られる強右衛門でしたが、命を賭して奥平家に忠義を尽くし、壮絶な最期を迎えるのでした。
長篠城址へ行ってきた
す~ねえ~も~ん~♪す~ねえ~も~ん~♪強右衛門(すねえもん)に会いたくて、長篠へ行ってきました。
長篠城址の案内看板には真っ赤な強右衛門(すねえもん)の磔刑図(たっけいず)が描かれており、すぐに到着したことが分かります。
所在地/愛知県新城市長篠市場22ー1
長篠城址の駐車場へと続くのぼり旗。
ちょうど駐車場へ「もっくる新城バス」がやってきました。[もっくる新城南方面]と[鳳来寺山山頂方面]それぞれ平日・土曜日1日3本の運行です。
長篠城址史跡保存館の駐車場にある武田勝頼伝承の桑の木。しだれ枝なので「さかさ桑」と呼ばれています。
駐車場から眺めた長篠城址史跡保存館。
長篠城址周辺は徳川縁の地が点在しており、レンタサイクルで史跡探訪が楽しめます。(長篠城址史跡保存館1階にレンタサイクルが置かれていますよ)
長篠城址史跡保存館。
長篠城址史跡保存館の入館料。
強右衛門(すねえもん)デザインのロッカー。
来城記念スタンプも強右衛門です。
長篠城址概要図。豊川と宇連川が合流する断崖上に建つ天然の要塞であることが分かります。
長篠城の内堀と土塁。
長篠城址の石碑。
本丸を歩いていると、水の激しく落ちる音が聞こえてきます。崖を見下ろすと小さな滝の白い飛沫が見えました。
シロツメクサが表面を覆いつくす本丸跡。
柔らかい踏み心地。
本丸脇には城藪稲荷の鳥居が残されています。様々なお願い事を叶えてくれる[おとら狐]を祀る城藪稲荷は長篠城址が文化財として保全されるにあたり、平成18年に大通寺境内へ移転されたそうです。
長篠城址に寄り沿うように走るJR飯田線。時折電車の音と蝉の鳴き声が二重に響き渡り、目をつむるとまるで小学生の夏休みにタイムスリップしたかのような錯覚を覚えます。
大河ドラマどうする家康では[強右衛門の磔刑地(たっけいち)]と[呼びかけの地(援軍がくる知らせ)]は同じ方向にあるように見えましたが、真逆の位置にあることを知りました。
磔刑地は谷川の向こう側。
対岸へぐるりと回り、強右衛門磔(はりつけ)の地へ。
磔にされながら「殿~!徳川の姫様は麗しい姫君。大事にしなされ。そりゃあまあ本当に素晴らしい姫君様じゃ!!」と叫んだ地です。
鉄道工事による移設で、実際の磔刑地とは若干場所がずれて立っている石碑。
対する、援軍が来ることを叫んだ地は長篠城址駐車場から80mの距離にあります。
「皆の衆、まあちいとの辛抱じゃ!持ちこたえるんじゃ!」と叫んだ地です。
叫べば聞こえる距離。
住宅地にひっそり立つ看板を探すのに少し時間がかかりました。
長篠城址より1,600m先の新昌寺には新東名高速道路の建設で移転した立派な強右衛門の墓があります。墓の大きさから強右衛門の功労がどれほど大きく、現代においても語り継がれていることがうかがい知れます。
なお、亡骸は作手(強右衛門妻の出身地)の甘泉寺(かんせんじ)に葬られているそうです。妻と同じ寺に葬られている強右衛門、なんと愛されていることか。
強右衛門の働きにより、戦いの地は長篠から設楽ヶ原へ移ります。次は設楽原へ行きますよ~
ちなみに6月より松潤家康ポスターがフレッシュなブルーカラーからブラックへ変わりました↓
松潤家康の人生を皆さんと一緒に追える2023年、幸せです。
第20話 岡崎クーデター
2023年5月28日放送の第20話は「岡崎クーデター」です。
信玄の3回忌を終え、武田勝頼(眞栄田郷敦さん)率いる武田勢はより一層勢いを増し、徳川を追い詰めます。謀(はかりごと)に長けている勝頼は徳川を内部から崩壊させようと、徳川家忠臣 大岡弥四郎(毎熊克哉さん)をそそのかし、岡崎城内で謀反を企てます。
瀬名の機転により謀反は失敗に終わりますが、捕らえられた大岡弥四郎の考えが聞いていて辛い。
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■家康と勝頼の才を比べれば勝頼に乗り換えるのは当然
■ご恩だの忠義だのは死に行かせるためのまやかし
■どうせ死ぬのならばひとときでも欲にまみれる夢を見たい(たらふく飯を喰いたい・酒を浴びるほど呑みたい・いいおなごを抱きたい)
長い間死と向き合い続けている極限状態ゆえなのか、勝頼に言いくるめられた結果なのか。
本音をぶちまける大岡弥四郎に瀬名や信康、私の心もざわつきます。奇しくも2023年7月公開の宮崎駿監督の新作アニメは「君たちはどう生きるか」。いつの時代も「どう生きるか」は永遠のテーマです。
ドラマ後半、裏切り弥四郎とは対照的な井伊虎松(板垣李光人さん/のちに万千代)の主君の選び方が描かれます。
- 虎松が家康に士官を願い出た理由
■民を恐怖させる殿よりも、笑顔にさせる殿のほうがずっといい。
■徳川家臣団はへんちくりんばかりだから、由緒正しい井伊家の自分が入ったら出世しやすそう。
へんちくりんって、、、表現(笑)若さは無敵!弥四郎に無間地獄と言わしめたこの戦国時代を、誰にも臆することなく生きて欲しいと願います。
瀬名・信康の献花台へ行ってきた
7月2日放送第25話で瀬名(築山殿)・信康が自害したことを受け、岡崎市では2023年7月3日~7月17日の間、岡崎公園内に献花台を用意してお二人を偲びました。続きは岡崎公園コラムでご覧ください。
次はいよいよ私の大好きな長篠城です!
第19話 お手付きしてどうする!
2023年5月21日放送の第19話は「お手付きしてどうする!」です。
②織田信長が足利義昭追放
③浅井長政自害し、お市と3姉妹は織田家へ引き取られる
目まぐるしく状況が変わる中、家康は、、、家康は風呂場で侍女のお万を妊娠させます。
※お万・・・瀬名の元侍女/戦で焼失した知立神社の神主・豪族 氷見家の娘
by石川数正。
家康(松本潤さん)とお万(松井玲奈さん)の風呂場シーンは、家康の髪を櫛で梳(す)き、顔の汗を拭く映像のみですが、私には1990年のアメリカ映画「ゴースト ニューヨークの幻」のろくろを回すラブシーンと同じに見えました。
- ~正妻 瀬名が見抜いた!お万の謀(はかりごと)~
■家康の子を宿すことでたんまり金子(きんす)を貰い、お家再築
■家康の子を育てることでたんまり金子を貰い、生活安定
瀬名が賢いことを知るお万は、瀬名対策も万全です。自らの提案で木に縛り付けられ、「お気の済むまで折檻してくださいませ。殺されても文句は言いません。」と、瀬名にこん棒を渡そうとします。
瀬名はなぜお万が家康の子を宿したのか察し、「才ある子じゃ。恥じることはない。見事じゃ。」とお万を認め、お万は「恥ずかしいことをしたとは思っていません。戦で憔悴している殿をお慰めしただけ。男どもに政(まつりごと)を任せずに、お方様のようなおなごが政をすればよいのです。」と瀬名へ進言します。
話はうまく収まるのですが、私には血みどろ合戦場と同じくらい怖く感じます。いつも「どうする家康」は毎話10回以上観返しますが、19話だけは無理です。
蓮の花咲く本證寺へ行ってみた2
第7話 三河一向一揆の舞台となった安城市の本證寺に蓮の花が咲いたことを住職さん運営のInstagramで知り、再訪問しました。
所在地/ 愛知県安城市野寺町野寺26
2月に伺った際はこんな感じ↑でしたが、6月28日に伺うと堀一面グリーン!花はまだぽつぽつと咲いている位でしたが、1輪1輪が大輪で迫力があります。
外堀。
住職さんは御朱印販売中。
蓮の花も販売中。※平日も販売されています
由緒正しき蓮の花。
一鉢3,000円です。実はこの日一鉢購入しようと思ってバケツ持参で伺いましたが、本物の蓮の花を見て「育てるの難しそう」と躊躇して結局買えませんでした。※ちなみに購入時にバケツは不要です
憧れのままになるのかな。メダカを飼うようになったら育てる決心がつくのかな。
見頃は7月~8月上旬です。蓮の花が開いている午前中にお越しください!
第18話 真・三方ヶ原合戦
2023年5月14日放送の第18話は「真・三方ヶ原合戦」です。17話のラストで「徳川家康は死んだ!?」と見せかけて、実は生きていた!脚本家古沢さんお馴染みの「早戻し技法」で時間を巻き戻す種明かしが始まります。
家康に名前を間違えられる度に、なぜか切ない複雑な表情をしていた事務方 夏目広次(ひろつぐ/甲本雅裕さん)。
なぜそんな表情をしていたのか、そしてなぜ家康はいつまでたっても夏目広次の名前を覚えられないのか。夏目広次の辛い過去が明かされます。
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~夏目広次2つの十字架~
■織田家に人質としてさらわれた幼い家康を助けられず、また一人だけ生き残ってしまった悔い(改名した理由)
■自身が抱える家臣・民を守るための苦渋の決断だったが、三河一向一揆で家康を裏切り一向宗へ加勢した悔い
徳川(松平)家2代に渡り罪を許された夏目広次は、三方ヶ原の戦いで恩を返すが如く家康の身代わりとなって討ち死にします。
「殿はきっと大丈夫。」と微笑む若き日の夏目広次(吉信)と、それに感謝する幼い家康(竹千代)の「吉信(よしのぶ)ありがとう。」とささやく心穏やかなシーンが走馬灯のように流れます。
槍で突かれ崩れ落ちる最中にふっと笑みをこぼす夏目広次も映し出され、私の涙腺は崩壊です。くぅぅう~
夏目広次が死ぬ間際まで大事に持っていた竹千代の虎の藁人形。
2023年10月1日付中日新聞より抜粋~夏目吉信(広次)が居住した幸田町六栗中屋敷の六栗城跡に石碑が建立された。(中略)石碑は吉信らの菩提寺がなくなることが決まったため、夏目家の子孫である中川慶子さんが地元の協力を得て3年前から計画。
本多忠勝の叔父 本田忠真(ただざね)も三方ヶ原の戦いで殿(しんがり)を務め、討ち死にします。
忠勝の叔父に対する想いと忠真の甥っ子に対する想いが激しくぶつかり合う様を見て、またもや号泣。忠勝の淀みのない綺麗な眼光はどこから生まれるのでしょう。普段舌ったらずな話し方をされる山田裕貴さんからは想像もつきません。スゴイぞ!この役者さんは。
思わず、翌日アピタ刈谷店でサントリーのペットボトル商品1ケースを購入し、おまけのクリアフォルダー全4種貰ってきました。山田さんご出演の劇場版「東京リベンジャーズ2 血のハロウィン編-決戦-」は2023年6月30日上映開始です!
三方原古戦場へ行ってみた
静岡県浜松市北区根洗町国道257号線沿いに石碑がありますが、この辺り一帯ということでやんわりとした位置付けです。
ドラマでは夏目広次と本多忠真の死に様に号泣した私ですが、昔の面影をほぼ残していない三方原台地に対して何の感情も生まれず(じゃがいもの産地と思っている位)、次の目的地 長篠城へ向かいます。
三方原から長篠へ向かう途中に、徳川縁の城と寺がありましたので少しご紹介します。
徳川家康は武田との戦いの移動中に各地のお寺に助けてもらっていたことが、ロケ地巡りをしていてよく分かります。
満光寺もその一つ。
満光寺の境内から柿本城址へ向かえます。
好奇心が非常に掻き立てられる立地でした。いつかご縁あれば登りたい、、
満光寺麓の道の駅でしずおか茶コーラを購入し、
ついでに安かったので赤玉たまごも購入して長篠へ向かいます。
目的地は長篠城のす~ねえ~も~ん♪鳥居 強右衛門(とりい すねえもん/岡崎体育さん)に早く会いたい!
第17話 三方ヶ原合戦
2023年5月7日放送の第17話は「三方ヶ原合戦」です。遠江侵略を風の如く火の如く猛烈な勢いで進める武田軍を相手に、徳川軍は成すすべもありません。とうとう武田信玄の策略にはまり、絶対的不利な三方ヶ原で戦うことに。今年の大河ドラマは年半ばで主人公とさようなら!?
磐田市見付町と一言坂へ行ってきた
第17話では本多忠勝(山田裕貴さん)に心を持っていかれました。表情がコロコロ変わって面白い。「生涯かすり傷一つ負わなかった」エピソードを忠勝の持ちネタとして昇華させた古沢さんの脚本も面白い。
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~忠勝持ちネタ~
本多忠勝(山田裕貴さん):(一言坂の戦いを経て血まみれなのに)手当て無用。見ての通りかすり傷ひとつ負わなんだ。
大久保忠世(小手伸也さん):いや、、、、それ血じゃ、、、
本多忠勝(山田裕貴さん):返り血じゃ~~!!!!(吠える顔から少し笑みを浮かべ、そのあとは真顔になってヘナヘナと座り込む)
最強武将 本多忠勝が、武田家臣 山県昌景と激闘した「磐田市見付町」と「一言坂」へ行ってきました。
磐田市見付町へ侵入してきた武田軍から退却する中、徳川軍は地の利を生かした3つの方法で戦います。
見付の町を焼き払うことで武田軍の進行方向を誘導。少数部隊でも戦いやすくした。
所在地/ 静岡県磐田市見付1340-1
町を焼き払う、というのは一見酷いことのように思えますが、見付の町人たちは「どうせ武田軍が来れば町を焼かれるのだから」と、率先して火を放ち、徳川軍を逃がしたそうです。のちに家康が見付町へお礼の釣鐘を寄進。今でもその釣鐘は磐田市の宣光寺に吊られています。
昭和戦時下においても金属回収されずに残っているのは凄いこと。
道幅の狭い一言坂で応戦。
所在地/ 静岡県磐田市一言
一言坂で武田軍に追いつかれる徳川軍ですが、殿(しんがり)本多忠勝の必死の防戦により無事浜松城へ帰還しました。
私が3年間高校へ通うために毎日自転車を立ち漕ぎしてのぼった想い出の一言坂です。おかげさまで太ももが大きく成長。
多分昔はこんな感じ。
一言坂から西1km先の沼地に提燈を灯して武田軍を騙し落とす。
所在地/ 静岡県磐田市上万能
現在はパチンコ屋の駐車場ですが、昔は湿地帯が広がっていました。夜、提燈(ちょうちん)の明かりで武田軍をおびき寄せて沼地へ落とした、という伝説が残っています。
挑燈野の西2km先には天竜川、天竜川を越えれば浜松城はすぐそこです。本多忠勝(山田裕貴さん)が通ったと想像するだけで胸アツ!
山田裕貴さんがご出演されている映画「東京リベンジャーズ」に俄然興味を持ちだしました。山田さんの演技は熱くて面白い!
第16話 信玄を怒らせるな
2023年4月30日放送の第16話は「信玄を怒らせるな」です。圧倒的強さを持つ武田信玄(阿部寛さん)を決して怒らせてはいけない家康。だけども、異父兄弟を痛めつけられ、遠江の民の思想を操られ、もうどうにも大人しくしているだけではいられなくなり、とうとう「信玄を怒らせる」行動を起こします。
かの有名な三方ヶ原合戦の始まる音がする、、、
遠江のお囃子の音色が懐かしい。
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※遠江(とおとうみ)とは現在の浜松市・湖西市・磐田市・袋井市・森町・掛川市・菊川市・御前崎市
田畑が少なく海がない貧しい甲府に生まれ、厳格な考えを持つようになった信玄と、心優しき家康のどちらが国を治める者として相応しいのか。私の頭の中にはイソップ童話「北風と太陽」がよぎります。
人を本当の意味で突き動かす力となるのは「人を想う優しさ」か。
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この者は遠江の民の姿そのものなんじゃ。こやつが次我らの前に現れる時、更なる敵となっているか、あるいは味方となっているか。それは我らの行い次第じゃ。
襲ってきた井伊直政(板垣李光人/いたがきりひとさん)を許す家康の台詞です。
こんなこと言われたら、「お仕えしたい」と思っちゃいますよね。人たらし家康。
図らずも武田信玄と戦う事になってしまった徳川家臣団の軍議も秀逸です。
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家康:わしは信玄に何一つ敵わぬ。(中略)戦っても十に九つは負けるんじゃろ。
本多忠勝:十に一つは勝てる。殿、その一つを信長は桶狭間でやりましたぞ。信長はやりましたぞ!!(濁音)
夏目広次:殿には、この家臣一同が居ります。この一同で力を合わせ、知恵を出し合えばきっと信玄に及ぶものと存じます!
家康大好き家臣団。でも次は三方ヶ原合戦ですよ~
どうする家康スペシャルトークin刈谷へ行ってきた
2023年5月21日刈谷市総合文化センターにてトークショーが開催されました。ご出演者は俳優 寺島進さんと「どうする家康制作統括」 磯智明さん、水野宗家※20代 水野勝之さんです。※初代刈谷藩主水野勝成から数えて20代
寺島進さんはテレビで拝見しているお人柄そのもの。美女に弱く、反社会的な雰囲気とチャーミングさが絶妙な匙加減で混在する方です。寺島さんのファンが多くご来場されているようで会場は熱気を帯びています。3月23日名古屋市開催のトークショーとは雰囲気が全然違う。
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■水野信元になるためにかかる時間は40分
■鎧(約20kg)が重いため、松重豊さんは待機中座っているのではなく横に寝ている
■松潤家康が大好き(可愛い甥っ子だから)
■ここの会場、音響いいなあ(さすがプロ!気づかれましたね。各地から視察にくるくらい素晴らしいホールが刈谷市にはあります。オーケストラピットが無いのが唯一の弱点)
ドラマでは間もなく退場する運命の水野信元。寺島進さんの散り際(かなりジタバタするんじゃあないかと推測)と古沢さんの脚本を楽しみに待ちます。
刈谷市長 稲垣武さんの次なる興味は、刈谷市公式キャラクターかつなり君こと水野勝成がドラマに出るか否か。制作統括 磯さんはフフフと笑い、答えません。
かつなりくんはどうなる!出たら出たで刈谷市はどうする!?
第15話 姉川でどうする!
2023年4月23日放送の第15話は「姉川でどうする!」です。浅井長政が織田信長を裏切る金ヶ崎の戦い(福井県敦賀市)では信長が無事撤退に成功。その後、姉川(滋賀県長浜市)で再び合戦が行われます。
戦いの直前に浅井長政から「共に織田信長を討ち取らん」と誘われ心揺らぐ家康ですが、家臣団2人に止められます。
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酒井忠次・・・義なんてものはキレイごと。屁理屈に過ぎませぬ!これは我らと織田勢を引き裂こうとする浅井の策略。乗ってはいけませぬ。
石川数正・・・今なら信長を倒せます。しかし、倒した後どうするのか。信長亡き後は、将軍は、天がはどうなるのか。(中略)あのぐっちゃぐっちゃをもう一度やりますか。もう一度やって生き残れるとお思いですか。
戦国時代において織田信長は必要悪であることをようやく理解した家康。
姉川合戦は織田・徳川軍が勝利し、浅井・朝倉軍は小谷城(滋賀県長浜市)へ敗走します。
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■切り取ったばかりの地を治めるならば、家臣に預けるのではなく自分が居るべき。
■遠江(とおとうみ)を統治するには見付(静岡県磐田市)ではなく、曳馬(静岡県浜松市)が良い。地の利を考慮して城を作れ。
■曳馬城という名は縁起が悪いから、名を変えよ。
■味方へ戦の催促をする時に鉄砲打って良し。
織田信長に可愛がられていることに全く気付かない家康が不憫でなりません。
姉川古戦場へ行ってみた
【浅井・朝倉軍】と【織田・徳川軍】が戦った姉川古戦場へ伺いました。小谷城跡から約10Km離れた場所です。
所在地/滋賀県長浜市野村町772
現地で一番確認したかったのは歩いて渡れる川なのか、ということ。水位も、川岸の地形やシロサギの存在もドラマのイメージ通りで嬉しいです。
姉川に架かる石碑近くの野村橋は老朽化のため、2017年7月10日より通行止めが続いています。
欠損部分が所々にある橋は、
少し歩くのが怖いかな。
沢山の兵の血で真っ赤に染まった姉川近くには、血原公園と言う名の公園があります。想像すると怖いカナ。
姉川古戦場の石碑。
甘いものを求めて、姉川古戦場石碑から南1,100m先の「いちごとミルク」さんへ。
「そのまんま苺100%ジュース」にソフトクリームをトッピング。すっぱいと甘いのエンドレスは幸せの味。
姉川古戦場から北2,400mの道の駅 浅井三姉妹の郷にも立ち寄りましたよ。
お市の方と浅井長政の間に生まれた3姉妹を主役にした、2011年大河ドラマ 江~姫たちの戦国~を思い浮かべる方が多いでしょうか。
何かと小豆がフィーチャーされるお市の方。
浅井長政が食したと言われる和りんごを使用したジェラートを頂きました。こちらのジェラート、道の駅レベルを超えた美味しさです!
静岡県磐田市見付の幻の城
場所変わりまして、私の地元、静岡県磐田市へやってきました。織田信長が家康にしたアドバイス、「見付はやめて曳馬(のちの浜松)へ行け」の「見付」とは城之崎城(きのさきじょう)のことです。築城計画は中断、幻の城となりました。
所在地/静岡県磐田市見付190
地形を利用し、現在は磐田城山球場が建っています。
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徳川家康は三河から遠江に拠点を動かすのに初めは見付(磐田市)に城を建てていたのですが、織田信長に説得され、拠点先を浜松へ変更。戦国時代の拠点というのは物流が非常に大事ということを織田信長はよく理解していたのでした。「守る」だけでなく、「助けに行く」「補給をする」も考慮した拠点選び。織田信長の武将としての才が際立つアドバイス、とても興味深いものです。
大河ドラマでは勝手に決めるなと家康は怒っていましたけどもね。
磐田市では2023年NHK大河ドラマ放送に合わせ、徳川家ゆかりの地の歴史看板を順次新しくしています。
城を彷彿とさせる球場外周。
小高い丘の上に建つ球場です。
JR東海道本線「豊田町」駅より北400m先の磐田市香りの博物館では、2023年4月22日(土)~6月25日(日)家康の遺香展が開催されています。
所在地/ 静岡県磐田市立野2019-15
TEL/ 0538-36-8891
[家康の遺香展]入場料は大人310円、高校生以上の学生200円、小・中学生100円です。
地元すぎて一度も入ったことのない博物館です。今回、駅まで迎えに来てくれた母と一緒に入館しましたが、母も初入館。
[家康の遺香展]期間中は戦国時代に使われたという酒井忠次の太鼓が展示されています。
1874年浜松城にあった太鼓が民間に払い下げになり、翌年1875年に磐田市の見付学校開校を記念して寄付され、普段は旧見付学校に展示されています。
2023年大河ドラマで徳川家康が「見付の城が完成したら酒井忠次に任せる」と言っていたのを思い出します。見付に太鼓。これは何かのご縁でしょうか。
香りの博物館は想像以上に楽しめます。実際に香りを嗅げるんです!香りの博物館ならではの展示方法に魅力を感じました。
家康が調合し命名した「千年菊方(せんねんきくほう)」も焚かれています。
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家康の愛した香りを再現!
千年菊方(せんねんきくほう)。それは徳川家康が自ら統合と命名をし、書き記した練香の調合レシピで水戸の徳川家に伝えられました。極上の天然香料を贅沢に使用したこのレシピは、徳川家康自身の好みなのか。真実はわかりません。しかしながら、400年前に徳川家康がこの香りを調合するひとときを過ごしたことは真実でしょう。(展示より引用)
家康をイメージしたお線香を館内のミュージアムショップで購入しました。桜コンサルタントでたまに焚いておりますので、ご興味お持ちのあなたはぜひ遊びにお越しください!
所在地/ 静岡県磐田市見付2452
入場料/無料※ただしどの県から来たのか窓口申請が必要
酒井の太鼓は普段、旧見付学校に展示されています。
昔は見付学校の最上階に置かれ、昼の時報などに使われていたそうです。
旧見付学校隣の遠江國総社 淡海國玉神社には狛犬ならぬ、コマウサがお迎えしてくれますよ。
可愛い!
第14話 金ヶ崎でどうする!
2023年4月16日放送の第14話は「金ヶ崎でどうする!」です。織田信長の義弟 浅井長政(大貫勇輔さん)の裏切りを徳川家康たちへ知らせるため、長政の妻 お市の方の侍女 阿月(あずき/伊東蒼さん)が滋賀県小谷城から福井県金ヶ崎までの距離を日中夜命尽きるまで駆けるお話です。
上図をクリックするとグーグルマップへ飛びます。
小豆になぞらえた名の阿月は歴史上の人物ではないのですが、自分の命を賭してでもお市の方の恩に報いたいという熱い気持ちに号泣。脚本家古沢良太さんにしてやられました。
先に攻め落とした金ヶ崎城にて織田家臣団と徳川家臣団が宴を催します。織田信長を楽しませるための宴会芸として、酒井忠次と羽柴秀吉が「海老すくい&蟹すくい」を披露。現代の幼児たちが好きな歌「エビカニクス(歌ダンス/ケロポンズ)」を彷彿とさせるシーンです。
家康も宴会芸を強要され、かなり寒い蟹ギャグを苦し紛れに披露します。皆が見守る中、時間差で信長に大うけ!ふう、、、気が抜けない宴です。
大好きな人を想う涙は綺麗です。
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■徳川家康に自分の考えを分かってもらえない事に涙する信長。
■侍女 阿月の安否を心配して涙するお市の方。
■無事金ヶ崎に到着し感極まって涙する阿月。
阿月の気持ちを汲み、動き出す家康と家臣団たちはまさに王道。草葉の陰で今川義元公が微笑んでおいでです。
なんやかんやで
織田信長が浅井長政に裏切られる「金ヶ崎の戦い」がこれから始まると思いきや、講談風ナレーション(寺島しのぶさん)の「なんやかんやで」の一言で済ませてしまう第15話に感服しまして、私も福井県敦賀市金ヶ崎町へは行かずに近所のスーパー「ルビットタウン刈谷」の蟹を観てロケ地巡りとします!うふふふふっ
第13話 家康、都へゆく
2023年4月2日放送の第13話は「家康、都へゆく」です。将軍 足利義昭と織田信長からの命を受け、上洛する家康と徳川家臣団が慣れない都で右往左往する様を描きます。
家康の長男 松平信康(寺島眞秀くん)の妻 五徳(ごとく/織田信長の娘/松岡夏輝ちゃん)の「コンフェイト食べたい」発言は、これから始まる家康への受難予告でありました。
※コンフェイトとは超高級な南蛮菓子「金平糖」のこと。当時国内では砂糖は作られておらず、金平糖は南蛮人が所有する貴重な品でした
コンフェイトで繋がる重要人物
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■希少な金平糖を家康のためにかき集めた三河出身の豪商・茶屋四郎次郎(中村勘九郎さん)
■家康が金平糖を持っていることを将軍に教えた明智光秀(酒向芳さん)
■家康が大事に懐に仕舞っていた金平糖を有無を言わさず取り上げ一口で平らげた将軍 足利義昭(古田新太さん)
第13話で家康は織田信長の引き合わせで、北近江の戦国大名 浅井長政(あざいながまさ/大貫勇輔さん)と出会います。織田信長の妹 お市の方と結婚した義の男 浅井長政の苦渋の決断に家康はどう向き合うのか。14話、15話へ続きます。
小谷城跡へ行ってみた
所在地/ 滋賀県長浜市湖北町伊部
※滋賀県甲賀市にも小谷城跡(詳細不明)があるため注意しましょう
GWに家族3人で浅井長政とお市の方が住んでいた滋賀県長浜市の小谷城(おだにじょう)跡へ行きました。難攻不落の山城と聞き、若干身構えています。
まずは小谷城跡の南西にある小谷城戦国歴史資料館で情報収集。
公民館規模の小さな歴史資料館の入場料は大人300円、小中学生150円です。(休館日/火曜日・年末年始 営業時間/9:00~17:00)
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●山城トップ3 小谷城ランクイン
●魅力を体感できる山城第1位
●小説の舞台にしたい山城第1位
●時代を変えた山城第2位
●撮影したくなる山城第3位
部活動盛んな高校みたい、は娘の感想。
浅井長政が食べたと伝えられている和りんごの苗木が販売されています。
浅井長政はNHK大河ドラマではシュッとしたイケメン武将ですが、実際はふくよかな体形だったと展示物で紹介されていて、娘と共にショックを受けました。
当初歴史資料館側の追手道から山城登りをスタートする予定でしたが、
歴史資料館スタッフの方が「祝日だからシャトルバス出てるよ」と教えてくださったので、シャトルバス発着場がある小谷城跡ガイド館 浅井三代の里へ向かいました。
小谷城シャトルバス乗車券は往復一人500円です。1時間に1~2本出ています。(連絡先 公益社団法人 長浜観光協会TEL/ 0749-53-2500 )
バスで行けるのはコンクリート舗装道路があるところまで。ここから山登りがスタートします。
番所跡まではガイドさんが一緒です。小谷城解説が分かりやすくてとても勉強になります。ありがとうございます。
織田信長は小谷城攻略のために向かいの虎御前山に城を築きました。しかし、この小谷城を攻め落とすのは容易なことでないので攻めてきません。睨み合いが続きます。
では織田勢のやっていることに意味は無いのかと問えば、大いにありました。普段、浅井長政や家臣たちは谷に屋敷を構えていました。(山城は住みにくい為)しかし、織田勢が来てからは谷には住めなくなり、山城へ籠城。
長期の籠城を可能にしたのは、朝倉家の援助物資があったからでした。
織田信長はそこに目を付け、先に朝倉家を討伐。
補給路を断たれた浅井長政は観念し、赤尾屋敷にて自刃(じじん)します。
家臣たちの墓。
棚田のような地形。
浅井長政とお市の方が住んでいた本丸。
本丸から見下ろした大広間。
一歩踏み間違えれば崖地に転がる山道。
登るのはなかなかに大変ではありますが、昔に想いを馳せることができる山城はとても面白いです。
浅井長政が自刃し、小谷城の新たな城主となったのは羽柴秀吉(はしばひでよし/のちの豊臣秀吉)でした。
秀吉は不便な小谷城を嫌い、2年後には琵琶湖近くに長浜城を築城。移転の際には、小谷城下町の商人たちも皆連れて行ったため、現在の小谷城跡周辺に残っているのは田畑ばかり。
秀吉が築いた長浜城の城下町は、今もその繁栄の面影が残っています。
滋賀県随一の人気観光スポットとして、2023年GWも賑わっていましたよ。
長浜城下町では食べ歩きを楽しみました。上写真は人気のパン屋「つるやパン まるい食パン専門店(長浜市朝日町)」さんです。昼過ぎにおじゃました時にはラスクしか残っていませんでした。
上写真はすぐに行列ができる人気クレープ屋さん「crepe mahoroba(長浜市北船町)」です。甘さ控えめな焼きたてクレープを召し上がれ。
2023年大河ドラマの秀吉は憎たらしい人なのですが、秀吉のおかげで長浜城歴史博物館やJR長浜駅周辺で食べ歩きを楽しめる、と思えば感謝の気持ちも生まれます。
戦国武将たちの湖上交通網となった琵琶湖にさようなら。三河へ帰ります。
桜コンサルタントは愛知県刈谷郵便局本局斜め向かいの不動産屋です。刈谷市・安城市・知立市・岡崎市・高浜市・西尾市・碧南市・東浦町・大府市・豊明市・名古屋市緑区を中心とした三河エリアの不動産売買を承ります。たまに東京の不動産も仲介させていただいていますヨ。不動産のことでしたらなんでもお気軽にご相談ください!