岡崎市明大寺町の乙川堤防沿いに咲く通称[葵桜(河津桜)]をご存知ですか。岡崎市には地名に「丘」がつく人気エリアが幾つか存在しますが、名鉄東岡崎駅から徒歩15分圏内の高級住宅地[明大寺町]は別格の人気ぶりです。今回は明大寺町に流れる乙川堤防沿いに花を咲かせた女性、三橋美千子さんの自叙伝[葵桜誕生秘話]から6つのことを学びます。2023年NHK大河ドラマ[どうする家康]をご覧になって岡崎城へ足を運ばれるあなたが、葵桜にも興味を持っていただけましたら幸いです。
葵桜が咲く場所
2022年6月20日竹橋から撮影。乙川に沿って繁る青々とした桜並木の植樹発起人が三橋美千子さんです。
場所/愛知県岡崎市明大寺町(カーナビで行かれる際は竜美丘会館と検索していただくと分かりやすいです)
最寄り駅/名鉄東岡崎駅
竹橋~岡崎市竜美丘会館までの堤防沿い約600mの間に、85本+1本の桜の苗木が2001年1月28日に植えられ、現在では大木に成長。毎年春になると堤防沿いはピンク色に染まります。
故 三橋美千子さんとは
外国人(旧国立研究所関係者)に向けて国際交流活動ボランティア(本業:着物コンサルタント/昭和49年岡﨑きもの総合学院開業)を行う女性。乙川堤防沿いの明大寺町邸宅にお住い。長年病気を患いながらも心は不屈、周囲を巻き込むパワー溢れる生き方で夢実現。
葵桜と名付けられた由来
愛知県額田郡幸田町にあるゴルフ場[葵カントリークラブ]の葵桜(河津桜)に美千子さんが魅せられたのが事の発端であることから、葵桜と名付けられた。※徳川家康とゆかりの深い岡崎市では、「葵の紋」や「葵が入った文字」をよく見かけます
夢実現に向けてどうする
美千子さんが「自宅前の乙川堤防沿いに桜を植える夢」を実現させるために体験した様々な人間関係が自叙伝では赤裸々に書き記されています。そこから学べる6つのことをピックアップ。美千子さんの生き方には夢を実現するヒントが散りばめられています。
1.市長のカオを立てる
長く愛してもらえる桜を育てるために、市民のボランティアで全て賄うシステムを考えた美千子さんですが、計画は全く進みません。当時行政が植樹を許さない最大の原因を「中根市長のカオを立てなかったから」と、何度も自己分析しています。
行政相手にさんざん苦労し、「バッジを付けた男に頼む」ことに方向転換した結果、政治家の権力争いに巻き込まれます。美千子さんは葵桜植樹に協力的な柴田紘一さんを市長にすることに成功したのちに、「市民ボランティアで桜を植える・育てる」夢を実現させました。行政の許可が必要な計画を練る時には、市長の功績になるとアピールすることが重要であることが分かります。
当初名古屋市職員さんは早く撤去するようにと看板を立てられましたが、河村市長は寛容な態度を示しました。「収穫までは撤去しません」と言われ、さらにこの無許可野菜畑にヒントを得て、今後は野菜を育てる市民を公募し、このエリアを提供すると話されています。葵桜の誕生と比べてみると面白い題材です。
名古屋駅前の無断で植えられたナスやトウモロコシなどの夏野菜は、名古屋市職員さんと無断で植えた男性との話がつき現在は移植され無くなっています。残念がったのは名古屋市長。
2.人に頼る
美千子さんは早くに夫が他界し、家族や仕事仲間からは頼られてばかりの人生だったため、「人に頼る」ことが何か特別な事と考えられていたようです。人それぞれ得意分野があり、様々な人に頼る事で大きな事業を成し遂げることができると途中で気づきます。
3.ビジョンを持つ
美千子さんの頭の中にある「乙川堤防沿いに桜を植えた50年後の様子」を伝えるために、コンピュータグラフィックスを用いたシミュレーション写真を自費で作製し、あらゆる関係部署へ配って歩きました。口頭で説明するよりも伝わったと手ごたえを感じられています。なにか相手に伝える時は視覚に訴えると効果絶大です。
4.我慢する
美千子さんは夢実現のために関係各所役所巡りをする度に「女だから」「肩書がない・無職の人間」と判断され、ないがしろに扱われたと回想されています。毎回悔しい気持ちを味わいますが、桜植樹が叶った時にはお世話になるのだからと、ぐっと我慢の子です。
これは行政対応に限ったことではありません。念願かなって桜植樹が行われた後も、近所の方が愛犬の散歩で桜におしっこをかける姿を見るたびに、「大切な子供におしっこを掛けられた」と怒りを感じます。1本1本オーナーがおり、名前が付けられた大切な木ですから、当然注意したくなりますが、毎日顔を合わす人たちだからとこらえたそうです。
5.守るために戦う
植樹されたばかリの桜の苗木は高さ1.5mない細木でしたから、土手のミミズを食べるモグラ被害に遭って枯れてしまうことがあったそうです。モグラ戦争と称し、モグラと戦う武器として作られたのが「ペットボトル風車」でした。風車が回ると地中に振動が伝わり、ミミズの這い回る音が聞こえなくなり、モグラは他の餌場へ移動していく仕組みです。
6.出る杭は打たれるので先手を打つ
桜植樹決定の際、市からの提案で「全ての木を市に寄付いたします」という誓約書が取り交わされました。市は「公共の場に個人が木を植えてけしからん」と、かならず苦情を言う人が出ることを知っている為、回避案を出されたのでした。
石碑に刻まれた言葉・・・葵桜 二〇〇一年市民の有志八十六人が一本ずつ植え十年間大切に育てました
2011年からは市が管理するようになった葵桜ですが、市民のボランティア活動は現在も続いています。毎月2回、第2、第4木曜日の9時~10時まで、堤防で草取り活動を行っている「カミナリの会」は、毎年葵桜の開花情報をHPへ更新しています。美千子さん亡き後も、葵桜に対する情熱は受け継がれています。
葵桜と彼岸花
2022年9月20日撮影。葵桜の下には沢山の彼岸花の球根が眠っています。(彼岸花も美千子さんが発起人となって植えられたと記憶しております)
彼岸花は宿根草なので植えっぱなしでも育つ丈夫な球根植物です。秋になるとこの乙川堤防沿いには彼岸花が咲き誇り一面真っ赤に染め上げていたのですが、近年は徐々に寂しくなってきたということで、2022年有志の方々の手によって新たに植え替えられました。
植替えられて初めての秋を迎える2022年9月。台風が過ぎ去った後ですが、強風に負けず青空に向かって真っすぐ伸びる彼岸花。
そしてこの日(2022年9月20日)が私にとって予期せぬ最良の日となりました。なんと!故三橋美千子さんのご家族の方とお会いすることが叶ったのです!!
三橋美千子さんが葵桜の為に始められたガレージセールが現在も続いており、「本の中の美千子さんしか知らない私」がその場に居ることの不思議さ、ご縁。
1冊の本から始まった私の葵桜ストーリーがまるで満開を迎えた桜の花弁のように一気に広がりました。彼岸花の話をお聞かせくださりありがとうございました。葵桜が咲く頃にまた伺います。
岡崎市乙川清掃ボランティア葵桜と彼岸花の会に所属されている動物愛護団体NoelHouse森實(もりざね)さんのリーフレット。
葵桜を見下ろせる竜美丘会館
ちょうど85本+1本が植わっている辺りに竜美丘会館があります。
竜美丘会館から葵桜と乙川を見下ろします。絶景。名鉄東岡崎駅近くのオトリバーサイドテラス(複合商業施設)の眺望とよく似ています。
春を迎えた乙川を想像するだけでワクワク。※対岸の愛知県立岡崎商業高等学校側にも桜植樹の予定が当初はあったのですが、却下されています
現在刈谷市在住の私は、岡崎市竜美丘会館内でも刈谷市情報を探します。演劇フライヤー見つけました!2022年7月は工藤静香さんや、ジャニーズA.B.C-Z橋本良亮さん、別所哲也さん、初風緑さんが刈谷市アイリスホールにやってきます。
スワンキングは初風緑さん(元宝塚)見たさにチケット予約しようか悩んだのですが、主演がジャニーズさんでチケット取るのが難しいカナ?なんて考えているうちに時間が過ぎてしまいました。
葵桜で散歩した後に寄りたいカフェ
乙川堤防沿い約600mを散策して、少し休憩したいと思われたあなたへおススメしたいカフェがあります。
River brew coffee/自家焙煎スペシャリティコーヒーと手作りおやつ(マフィンやガトーショコラ、プリンなど)を提供している小さなカフェです。
営業日が少ないため、Instagramで確認してから伺いましょう。
むさしの森珈琲 岡崎竜美丘ガーデンプレイス店/高原リゾートをイメージした内装のカフェ(すかいらーくグループ運営)です。ふわっとろパンケーキが看板商品。
どちらのお店も竜美丘会館のすぐ近くにありますよ!
葵桜発起人 三橋美千子さんまとめ
天文11(1542)年に岡崎城内で生まれ、人質から始まる人生だけれども江戸幕府を開いた徳川家康と、1939年に岡崎市に生まれ、行政に阻まれながらも乙川堤防沿いに桜の木を植えた三橋美千子さん。生きた時代は違えども、大業を成し遂げたお二人には重なる心情があったかもしれません。2023年春、全国から沢山の大河ドラマファンが岡崎市へいらっしゃるかと思います。岡崎城、岡崎公園、桜城橋だけでなく、葵桜咲く乙川堤防にも足をお運びいただけましたら嬉しいです。
桜コンサルタントは刈谷郵便局本局斜め向かいの不動産屋です。刈谷市・安城市・知立市・岡崎市・高浜市・西尾市・碧南市・東浦町・大府市・豊明市・名古屋市緑区を中心とした三河エリアの不動産売買を承ります。たまに東京の不動産も仲介させていただいていますヨ。不動産のことでしたらなんでもお気軽にご相談ください!