岡崎市明大寺町の乙川堤防沿いに咲く通称[葵桜(河津桜)]をご存知ですか。岡崎市には地名に「丘」がつく人気エリアが幾つか存在しますが、名鉄東岡崎駅から徒歩15分圏内の高級住宅地[明大寺町]は別格の人気ぶりです。
葵桜が咲く場所
2024年2月28日竹橋から撮影。毎年2月後半~3月頭にかけて乙川堤防沿いはピンク色に染まります。
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場所/愛知県岡崎市明大寺町(カーナビで行かれる際は竜美丘会館と検索していただくと分かりやすいです)
2024年2月、竜美丘会館駐車場は使用不可でしたが、警備員さんが「駐車場は無いけれど、、、」と言いつつ、他の駐車場へ誘導されていましたので、現地で聞いてみましょう。
最寄り駅/名鉄東岡崎駅
竹橋~岡崎市竜美丘会館までの堤防沿い約600mの間に、85本+1本の桜の苗木が2001年1月28日に植えられ、現在では大木に成長。毎年春になると堤防沿いはピンク色に染まります。
シーズン中は葵桜の発起人 三橋美千子さん宅にてガレージセールが開催されます。売り上げは葵桜の運営資金になりますのでぜひご参加ください!
>葵桜は散歩道!岡崎市大西3丁目貸家 へーベルハウス太陽光発電の家2LDK(3LDKへ変更可能)
葵桜の生みの親は三橋美千子さん
春の名所とまで呼ばれるようになった河津桜(通称名/葵桜)の生みの親、三橋美千子さんの自叙伝[葵桜誕生秘話]から6つのことを学びます。
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外国人(旧国立研究所関係者)に向けて国際交流活動ボランティア(本業:着物コンサルタント/昭和49年岡﨑きもの総合学院開業)を行う女性。乙川堤防沿いの明大寺町邸宅にお住い。長年病気を患いながらも心は不屈、周囲を巻き込むパワー溢れる生き方で夢実現。
葵桜と名付けられた由来
愛知県額田郡幸田町にあるゴルフ場[葵カントリークラブ]の葵桜(河津桜)に美千子さんが魅せられたのが事の発端であることから、葵桜と名付けられました。※徳川家康とゆかりの深い岡崎市では、「葵の紋」や「葵が入った文字」をよく見かけます
夢実現に向けてどうする
美千子さんが「自宅前の乙川堤防沿いに桜を植える夢」を実現させるために体験した様々な人間関係が自叙伝では赤裸々に書き記されています。そこから学べる6つのことをピックアップ。美千子さんの生き方には夢を実現するヒントが散りばめられています。
①市長のカオを立てる
長く愛してもらえる桜を育てるために、市民のボランティアで全て賄うシステムを考えた美千子さんですが、計画は全く進みません。当時行政が植樹を許さない最大の原因を「中根市長のカオを立てなかったから」と、何度も自己分析しています。
行政相手にさんざん苦労し、「バッジを付けた男に頼む」ことに方向転換した結果、政治家の権力争いに巻き込まれます。美千子さんは葵桜植樹に協力的な柴田紘一さんを市長にすることに成功したのちに、「市民ボランティアで桜を植える・育てる」夢を実現させました。行政の許可が必要な計画を練る時には、市長の功績になるとアピールすることが重要であることが分かります。
②人に頼る
美千子さんは早くに夫が他界し、家族や仕事仲間からは頼られてばかりの人生だったため、「人に頼る」ことが何か特別な事と考えられていたようです。人それぞれ得意分野があり、様々な人に頼る事で大きな事業を成し遂げることができると途中で気づきます。
③ビジョンを持つ
美千子さんの頭の中にある「乙川堤防沿いに桜を植えた50年後の様子」を伝えるために、コンピュータグラフィックスを用いたシミュレーション写真を自費で作製し、あらゆる関係部署へ配って歩きました。口頭で説明するよりも伝わったと手ごたえを感じられています。なにか相手に伝える時は視覚に訴えると効果絶大です。
④我慢する
美千子さんは夢実現のために関係各所役所巡りをする度に「女だから」「肩書がない・無職の人間」と判断され、ないがしろに扱われたと回想されています。毎回悔しい気持ちを味わいますが、桜植樹が叶った時にはお世話になるのだからと、ぐっと我慢の子です。
これは行政対応に限ったことではありません。念願かなって桜植樹が行われた後も、近所の方が愛犬の散歩で桜におしっこをかける姿を見るたびに、「大切な子供におしっこを掛けられた」と怒りを感じます。1本1本オーナーがおり、名前が付けられた大切な木ですから、当然注意したくなりますが、毎日顔を合わす人たちだからとこらえたそうです。
⑤守るために戦う
植樹されたばかリの桜の苗木は高さ1.5mない細木でしたから、土手のミミズを食べるモグラ被害に遭って枯れてしまうことがあったそうです。モグラ戦争と称し、モグラと戦う武器として作られたのが「ペットボトル風車」でした。風車が回ると地中に振動が伝わり、ミミズの這い回る音が聞こえなくなり、モグラは他の餌場へ移動していく仕組みです。
⑥出る杭は打たれるので先手を打つ
桜植樹決定の際、市からの提案で「全ての木を市に寄付いたします」という誓約書が取り交わされました。市は「公共の場に個人が木を植えてけしからん」と、かならず苦情を言う人が出ることを知っている為、回避案を出されたのでした。
石碑に刻まれた言葉・・・葵桜 二〇〇一年市民の有志八十六人が一本ずつ植え十年間大切に育てました
2011年からは市が管理するようになった葵桜ですが、市民のボランティア活動は現在も続いています。毎月2回、第2、第4木曜日の9時~10時まで、堤防で草取り活動を行っている「カミナリの会」は、毎年葵桜の開花情報をHPへ更新しています。美千子さん亡き後も、葵桜に対する情熱は受け継がれています。
最寄りのカフェ
乙川堤防沿い約600mを散策して、少し休憩したいと思われたあなたへおススメしたいカフェがあります。
River brew coffeeは、自家焙煎スペシャリティコーヒーと手作りおやつ(マフィンやガトーショコラ、プリンなど)を提供している小さなカフェです。
少人数で運営されていて営業時間も短いため、利用できずに早2年が過ぎます。
2024年2月28日はむさしの森珈琲 岡崎竜美丘ガーデンプレイス店へ立ち寄りました。花見客で混んでいましたが、スタッフ数が多いのと接客がスマートで待ち時間が気になりません。
高原リゾートをイメージした内装のカフェ(すかいらーくグループ運営)です。
ふわっとろパンケーキが看板商品。
春は苺のパンケーキが楽しめますが、私は焼きたてが好きなので定番のパンケーキを注文しました。
低温で焼き上げるため、ほんのりと温かいパンケーキ。メープルシロップをたっぷり掛けて温かいうちに召し上がれ!(冷たいのよりも断然美味しい)
ブレンド珈琲はすかいらーくグループ運営らしく、たっぷりサイズです。
どちらのお店も竜美丘会館のすぐ近くにありますよ!
葵桜と彼岸花
2022年9月20日撮影。葵桜の下には沢山の彼岸花の球根が眠っています。(彼岸花も美千子さんが発起人となって植えられたと記憶しております)
彼岸花は宿根草なので植えっぱなしでも育つ丈夫な球根植物です。秋になるとこの乙川堤防沿いには彼岸花が咲き誇り一面真っ赤に染め上げていたのですが、近年は徐々に寂しくなってきたということで、2022年有志の方々の手によって新たに植え替えられました。
植替えられて初めての秋を迎える2022年9月。台風が過ぎ去った後ですが、強風に負けず青空に向かって真っすぐ伸びる彼岸花。
そしてこの日(2022年9月20日)が私にとって予期せぬ最良の日となりました。なんと!故三橋美千子さんのご家族の方とお会いすることが叶ったのです!!
三橋美千子さんが葵桜の為に始められたガレージセールが現在も続いており、「本の中の美千子さんしか知らない私」がその場に居ることの不思議さ、ご縁。
1冊の本から始まった私の葵桜ストーリーがまるで満開を迎えた桜の花弁のように一気に広がりました。彼岸花の話をお聞かせくださりありがとうございました。葵桜が咲く頃にまた伺います。
葵桜を見下ろせる竜美丘会館
ちょうど85本+1本が植わっている辺りに竜美丘会館があります。
竜美丘会館から葵桜と乙川を見下ろします。絶景。名鉄東岡崎駅近くのオトリバーサイドテラス(複合商業施設)の眺望とよく似ています。
春を迎えた乙川を想像するだけでワクワク。※対岸の愛知県立岡崎商業高等学校側にも桜植樹の予定が当初はあったのですが、却下されています
葵桜発起人 三橋美千子さんまとめ
1939年に岡崎市に生まれ、行政に阻まれながらも乙川堤防沿いに桜の木を植えた三橋美千子さん。岡崎城、岡崎公園、桜城橋だけでなく、葵桜咲く乙川堤防にも足をお運びいただけましたら嬉しいです。
桜コンサルタントは刈谷郵便局本局斜め向かいの不動産屋です。刈谷市・安城市・知立市・岡崎市・高浜市・西尾市・碧南市・東浦町・大府市・豊明市・名古屋市緑区を中心とした三河エリアの不動産売買を承ります。たまに東京の不動産も仲介させていただいていますヨ。不動産のことでしたらなんでもお気軽にご相談ください!