私の出生地[浜松市]美術館で声優[鳥海浩輔さん]が音声ガイドを務めている展示会があると聞きつけ、さっそく行ってきました。『挑む浮世絵』コラム第三回目は「話題に挑む」です。幕末屈指の人気絵師【歌川国芳(うたがわくによし)】とその弟子だちの奇抜で豪胆、自由闊達な浮世絵を素晴らしい音声ガイドと共にお楽しみください。
またまた声優鳥海浩輔さんを復習しましょう
『挑む浮世絵』展の音声ガイドは600円。イヤホンマークがついている絵で音声ガイドが聞けるそう。そしてあなたは黒いソフトハットがトレードマークの声優[鳥海浩輔(とりうみこうすけ)さん]をご存知でしょうか。写真を見ても、名を聞いても分からない方でも絶対に何処かで聞いたことのある声ですよ。
弱虫ペダル/ 今泉俊輔役
刀剣乱舞/ 三日月宗近役
ジョジョの奇妙な冒険第5部/グイード・ミスタとセックスピストルズ
いよいよ浮世絵展へ挑む!④話題に挑む
「血みどろ絵」から一転、ユーモラスな戯画の世界へ。『④話題に挑む』展示が始まります。
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国芳の戯画(滑稽な絵)はバリエーションの豊富さと、そしてアイデアの奇抜さにおいて他の追随を許さない。~中略~ただ、ユーモラスなだけにみえる国芳の戯画の中には幕政を風刺しているとしてさまざまな噂が飛び交ったものがある。~中略~江戸の人々が国芳の戯画に求めたものとは?国芳作品の「面白い」には「裏」がある。
歌川国芳作/1842~43年頃/源頼光公館土蜘作妖怪図(みなもとのよりみつこうのやかたにてつちぐもようかいをなすず)
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おなじみの伝説(土蜘蛛退治)を描いた作品。実はわれわれ庶民を苦しめる天保の改革を風刺した絵らしいぞ、と噂がたち、皆がこぞってなぞ解きをしたというわけなんです。おかしげな妖怪たちはなんと法隆寺のお宝であるお面にインスピレーションを受けたもの。国芳の斬新なアイデアにはびっくりです。
歌川国芳作/1847年頃/流行猫の戯 身の臭淫色時(りゅうこうねこのたわむれ みのくささかりのいろどき)
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国芳は猫好きとしても知られています。それだけに猫を描かせたら天下一品なんです!こちらの絵は歌舞伎借者を猫の絵に置き換えた作品です。国芳が好きな歌舞伎役者[中村歌右衛門]の顔によく似ています。なんとも愛らしいですね。いわば人気アイドルが猫顔で描かれたもの!
歌川国芳作/1846年頃/里すずめねぐらの仮宿
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可愛い雀たちがいっぱい!江戸の遊郭臨時営業を始めた絵です。しかしこのところ遊女を描くことは禁止されていました。国芳は人間を雀にして法の網の目をかいくぐったのです。雀の表情が豊かですよね。彼らがどういう会話をしたのか。。 「あら、久しぶりね!ちょっとよっていきなさいよ」「わかった、わかった。また今度な!」「おいおいそんなに袖を引っ張るなよ」※なぜ雀にしたかといえば当時遊郭に通う人や冷やかし客のことを「吉原雀(よしわらすずめ)」と呼んでいたからです
いよいよ浮世絵展へ挑む!⑤終章「芳」ファミリー
歌川芳藤作/1852年頃/端午の節句(たんごのせっく)
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こちらは江戸時代のペーパークラフトです。芳藤はおもちゃの絵を沢山描いていたので「おもちゃ芳藤」とのあだ名がありました。「な~んだ、子供のおもちゃか。」と侮ることなかれ!こんなエピソードが残っています。「先生、こんな絵はこんな丁寧になさらなくてもいいんじゃないですか。」「いいえ、私が死んでも絵はあとで残ります。自分が納得したものでなければ世に出せません。」
絵の横に実際に切り貼りして組み立てた完成品が展示されていました。大人でも楽しそう!
月岡芳年作/1877年頃/西郷隆盛切腹図
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国芳晩年の弟子芳年が39歳の時に起こった西南戦争を描いた作品です。海の上で西郷隆盛が切腹した絵。電報の間違えた情報をもとに描いているようです。ちなみに、紙を折ったようなポキポキした線は芳年風などといって流行したスタイルです。
月岡芳年作/1883年頃/東名所隅田川 梅若之古事(あずまめいしょすみだかわ うめわかのこじ)
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芳年が45歳頃に描いた夢のように美しい絵。平安貴族の子「梅若丸」は旅の途中、人買いにさらわれますが、墨田川の岸辺で病にかかり捨て置かれます。わずか12歳の命。隅田川のほとりに(桜のように)命を散らせるのです。
いよいよ浮世絵展へ挑む!まとめ
歌川国芳作/1846~48年頃/浮世よしづ久志(うきよよしづくし)
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こちらは国芳先生の作品です。中央に黒々と書かれているのは「よ・し」の二文字。若い娘に惚れられて夢でもよし!上手に字がかけててすじがよし!様々なシチュエーションの絵で表現しています。さて、ここで右上をご覧ください。芳桐印の着物をまとった後ろ向き(照れ屋だから)の男性がいます。国芳先生です。そして中央上の文字は「人の身の良し悪し話はよしにして、なんでもかんでもずっとよしよし。」人生は良いことも悪いこともいろいろあるけれど、あれもこれもみんなよしっ、ね、てとこでしょうか。
国芳さんと愛猫。後姿が照れますね。
機嫌良し。
なんでもかんでもよしよし。
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国芳先生、彼ぐらい人気があったら2代目を名乗る者が出てきそうです。しかしどうやら二代目国芳はいないようなんです。遺言エピソードに「おめえたちのうちで万一俺の名を継ぐ者があったら、勘当は勿論、死んで七日も経たぬうちに化けて出て食い殺してやるからそう思え。」 という言葉があります。これは弟子には一人立ちして欲しい、自分の力で頑張って欲しいという国芳の優しい気持ちです。なんでもかんでもずっとよしよし。
絵に描かれている芳桐印は国芳のしるし。【ウォーリーを探せ】ならぬ【芳桐印を探せ】を美術館でお楽しみください。数えきれないほど大量です。